タイのおすすめ観光地

タイの首長族の村への観光

今日は、タイをこれまでに9回も訪れている長屋さんという方から 首長族の村を訪れた経験についてお寄せいただきました。ご紹介しますね。

タイはどこに行っても確実に満足を与えてくれる国であり、今までの旅は自分の中でそれぞれが印象深いものですが、一番面白く貴重な体験ができた旅のことを書きます。

2000年12月31日~2001年1月1日の20世紀最後の日と新世紀の幕開けにかけた時の話です。

 自分はこんな千年に一回という千載一遇の機会を生きている間に体験できることを、やすやすと見逃す手はないと思い、この記念すべき日を生涯の明確な記憶に残るものとしたいとずっと考えていました。

そんな時、以前日本人バックパッカーから聞いた「タイの首長族の村は良い処ですよ。個人で現地ツアーを手配すれば簡単に行けます」という話を思い出したのです。私の20世紀最後の日をどこで過ごすかは決まりました。

 首長族というのは、首にリング状の真鍮の金具を何重にも巻き付け生活する風習を持つ少数民族のことです。

それだけ聞くと、「首長族」などという言葉の響きも相まって、何やら風変わりな風習を持った未開の裸族か何かのようなおどろおどろしいイメージがあるかもしれませんが、実際は彼らのことは日本人が知らないだけで、欧米の外国人観光客には非常に人気のある観光地なのだそうです。

 北部の中心都市チェンマイから国内線に乗り、まず向かったのはタイの西端にある町メーホンソン。

周囲を山々に囲まれ、ジャングルを越えると、もうミャンマーはすぐそこという山深い田舎町です。

 町にたくさんある旅行会社のひとつに入り、首長族の村へのツアーの説明を聞きます。

いくつか集落があるようですが、私が選んだのはフアイプーケンという村への1泊2日ツアーで、首長族の村に入る入園料のほか、オプション料を払えば、なんと宿泊も可能ということでした。

首長族の家で21世紀を迎えられるなんて、これに勝る想い出はありません!

ツアーといっても参加者は他におらず、結局、私がガイドを個人手配したようなもので、誰に気を遣うこともないので、まさにおあつらえ向きの条件でした。

 ガイドはこの町生まれのシャン族の男性で、英語が話せます。大変陽気で愉快な彼との道中のおしゃべりは楽しいものでした。

村への道のりは少々険しく、アドベンチャー気分にさせてくれます。

メーホンソンの町からは車で出発しますが、ほどなく郊外を流れるパイ川の岸からは筏に乗り、パイ川を下るのです。

川の流れは緩やかですが、全く治水されていない自然の川を手作りの筏で下るだけなので、ワイルドそのもの。筏を下りた後は、ジャングルをどんどん分け入っていきます。ジャングルと言っても、ちゃんと道はあるので、実際はトレッキングのようなものですが、それでも自分の脚だけが頼りのハードな道のりであるのは間違いありません。

 出発して約3時間、ようやく首長族の村につきました。

村は明らかに観光化されていて、ひなびたところはなく、土産物屋もたくさんあるような処であったのにまず驚きました。

これには理由があることをガイドが教えてくれました。

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首長族は元々ミャンマーを故郷とする部族でしたが、この国境周辺は昔から国内外での紛争が絶えない地域で、戦火を逃れてジャングルを越えてタイにやってきた一部の人々がここに棲みついたとのことでした。つまり、彼らは難民であり、この村は難民キャンプというわけです。村には水道も電気もありません。難民は労働ビザがないため、タイでは正規の職業に就けないので、土産物を売って生計を立てているとのことでした。

 首長族というのは正式な部族名ではありません。

正式には「カヤン族」と言うそうです。

この変わった風習については諸説あるらしいのですが、首にコイルを巻くのは女性だけで、5歳から巻きはじめ、死ぬまで外すことはないそうです。村にコイルの見本があり、持たせてもらいましたが、ずしりと重く、これを首にはめて生活することの困難さは容易に想像できました。ちなみにカヤン族の男性はごく普通の恰好をしていて、言われなければ気づきません。することもなく暇そうで、完全に「髪結いの亭主」状態でした。

 観光客に囲まれて生活しているような彼女たちは英語を話せます。

彼女たちが観光資源になることに着目したタイ政府が公費で学校を作り、そこでちゃんとした教育を受けさせているのだそうです。ここでも彼女たちは上手く当局に利用されている感じが否めません。

 私が今夜お世話になる家にはマジャという18歳の女の子がいました。

マジャは英語のほか、なんと片言の日本語も話します。

今まで日本人観光客も何人も受け入れて、少し言葉も覚えたとのことでした。大晦日ということもあるのか、村では男たちが子豚をさばき、焚火で丸焼きにしていました。村の客人でもある私には真っ先にふるまってくれましたが、ついさっきまで放し飼いにされていた野豚なので、肉の鮮度、肉質とも今まで食べたことがないほどの絶品の味でした。

 村には電気がないので、夜は本当に真っ暗で何も見えません。

彼女たちの家は高床式でほとんど扉がない構造ですが、夜でも戸締りなどしません。「みんな顔見知りの家族みたいなものだし、戸締りなんてしない。それに誰かが悪いことしてもすぐわかる」マジャはそう言いました。ここには現代社会が失ってしまった大切なものが確かに生きていると感じながら、本当に静かな闇の中で、私の20世紀は静かに幕を閉じていきました・・・。

 さて翌朝、私の新しい年、新しいミレニアムは元気な鶏の声で開けました。

朝食はマジャ手作りの野菜炒めとチャーハン。目玉焼きやコーヒーまで出てきたのは外国人宿泊客へのもてなしでしょうか。別れ際「マタキテクダサイ」と笑顔で手をふってくれました。

 こうして私の世紀をまたいだ旅は終わりました。

ある意味、彼女たちは国際情勢に翻弄された悲劇の民族と言えるかもしれません。

また我々外国人観光客の好奇の対象になりつつも、笑顔を絶やさず、自分たちの運命を前向きに受け入れる彼女たちの力強い姿勢には非常に感銘を受けました。この後もタイは何度は行きましたが、彼女たちの村への再訪はいまだ達成できていません。是非とも訪問し、あれから数十年経った後のマジャにまた逢ってみたいと思っています。

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